過去日記 PART?

2001年5月6日

次の日、腫れぼったい目をして受験会場に行くと、ユッコが待っていた。

「・・・実はね、龍司から電話が来てたの・・・」

私は驚いてユッコの顔を見つめた。

「船に乗る前の日、お父さんの手伝いで船に乗る事になったから・・・って。危なくないの?って聞いたら『大丈夫、大丈夫』って笑ってた。ゆかりに電話したの?って聞いたらしてないって言うから、心配してるから、電話してあげてって言ったら、『うん、これ切ったら電話するよ』って言ってたのよ・・・」

ユッコが昨日聞いていた「龍司から電話来なかった?」はこの事だったのだ。

私はただただ、首を横に振った。
涙があふれてしょうがなかった。

『何故!?電話くれなかったの?』
『どうして!?』

そんな言葉しか、頭に浮かんでこない・・・

どうやって、受験2日目をこなしたのかわからないまま、家に戻った。
それからと言うもの、毎日、目を皿の様にして新聞を見たが、その後の龍司に関する記事は載っていない。
中学生の私には調べる術もないまま、一週間が過ぎた。

行方不明者の捜索は、通常一週間で打ち切られるのだ。
それを待って、彼の自宅で、遺体のないまま葬儀が行われた。
私と、ユッコそしてクラスメートの3人で出掛けた。

遺影の龍司は見た事のない顔をしていた。写真映りのせいだろうか・・・?まるで別人である。

『私は一体、誰のお葬式に来ているのだろうか?』

当然、涙も出なかった。
信じられなかったのである。

『だって、遺体がないんだもの。きっと何処かで生きてる』そう言い聞かせている自分がいた。

そして、色々な情報が飛び交っていた。

「自殺だったんじゃないか」と言う話まで出た。

漁に出る前に自分の机はもちろん、洋服などもきちんと整理され、かなりの物も処分されていたと言う。
そんな所から、「自殺説」が出てきたのだろう。

その話を聞いた時、私は明らかに動揺した。
ユッコにも泣いて、自分の胸の内をぶちまけた。

そんな私の為にかどうかは判らないが、ユッコは色々と情報を仕入れて来てくれた。

「自殺なんかじゃないよ。だって、龍司、海に落ちた時、ジャンバーとか脱いだって・・・水で重くなって身動き取れなくなるから、着てる物脱いだって。」

どの話も、信憑性は定かではないが、私はこの話は信じたかった。

その後、私は中学を卒業し、無事に高校も合格した。
今思えば、ランクを下げておいて正解だったと、つくづく思った。

毎日、毎日、龍司からの電話を待っていた。心の片隅では、もう居ないんだと思いつつも、何処かで彼を待っている自分がいる。
そんな危うい精神状態が長く続くわけが無い。

自分の中で、区切りを付けた。

「一年待っても帰って来なかったら・・・その時は私も・・・」

男友達のバイクの後ろに乗って流したり、高校も進級が危うくなる程休んだり、そんな事をして一年があっという間に過ぎた。

親宛てに、遺書を書いた・・・

・・・そこまでだった・・・

勇気がなかったと言えばそれまでだが、どうしても龍司の側には行けなかった。
言い訳かもしれないが、『きっと何処かで生きている。』
その考えが頭から離れないのである。


その考えが頭から離れないまま、もう既に、20年の月日が流れてしまっている・・・
それでも、私は生きている。
これからもずっと、心の片隅で、彼の帰りを待ち続けている私がいる。

遺書を書いた時、私の人生は一度終っている。
良い意味でも、悪い意味でも、「龍司」は私の人生の中で、大きな意味を持っている男性である。

願わくば・・・神様が本当にいるとしたら・・・

『龍司にもう一度だけ逢わせて下さい』

〜おわり〜

★★★今日の夕食★★★

修の実家にて
五目御飯
焼き鳥

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

日記内を検索