今日の日記
2001年5月17日相も変わらずの一日だった。
ニュースで、またメール絡みの事件の事をやっていた。
ここ最近、修は仕事が忙しくて、ニュース等を見てる暇がないのが救いだ。
彼がこのニュースを見たら、ますますメール(ネット)に対する偏見が深まるだろう・・・
もしかしたら、車の中とかでラジオで聞いてるかもしれないが・・・
今日はやっと早く帰って来た。
溜まっていた録画しておいたドラマなどを見ていた。
彼の仕事に対する情熱とパワーには本当に脱帽する。
あの若さで独立し、人を使い・・・
一応「社長」ある。(株式でも有限でもないが、一応会社登録をしている)
じゃあ私は「社長夫人」(?)
そんな彼に
「早く帰って来て」とか
「倭と遊んでやって」とか言うのは酷なのだろうか?
彼は自分でも
「仕事が一番」
「自分の趣味が二番」
「家庭がその次」
と、言ってのける人です。
確かに私は仕事をバリバリやってる人に惹かれる傾向が強いが、こうやって家庭を持って始めて、自分が本当に望んでいる物は
「安定した穏やかな家庭」
だった事に気付く・・・
例えば、公務員で、給料も休みもきっちり決まっていて、毎日定時に帰って来て、親子揃って夕食・・・
そんな平凡で退屈かもしれないが、安定した生活・・・
今の生活とは程遠い話である。
まあ、所詮人間は無い物ねだりだから・・・
★★★今日の夕食★★★
チキンささみカツ(チーズ入り)
サラダ
ほうれん草のお味噌汁
コメントをみる |

だって、可愛かったんだもん・・・
2001年5月16日昨日、インストールしたメールソフトッす(笑)
私、少し前にショックな事をやらかしました(笑)
パソコンを買った時から入っていた「PostPet」
猫に「てん」と名付けて可愛がっていたのに、
ごちゃごちゃに成って来たプログラムソフトをアンインストールしてた際に、消してしまったのです。
体験版をインストールしてまた始めたものの、期限付きなので、どうにもやる気に成れず・・・
かと言って、製品版を買う気にもなれず・・・
で、何か可愛いメールソフトないかな〜
と何気に探してて見つけました。
J-スカイや、EZ−webに対応してるらしいッス
何で、iモードには対応しないのかな〜?
てな事で、また首を絞めてる私です。
ちなみにそのソフトがインストール出来るサイトのaddressはここ
↓
リンク
★★★今日の夕食★★★
お刺身
焼きそば
ジャガイモとワカメのお味噌汁
100円ショップ
2001年5月15日マイブームです(笑)
ママチャリで良く行くスーパーの3階にかなり大きな規模の100円ショップがあります。
以前まではフロアーの一角にちょこっとあっただけなのですが、先日改装して、3階全フロアーが100円ショップになりました。
今までは、車でしか行けない所にしかなかったので、自力で行ける距離に出来たのはうれしいです。
そこは食品も充実してます。
そこがミソですね!
やっぱ主婦だな〜
昨日も、倭の半袖Tシャツや半ズボン等を買い込んで来ました。
子供なんて特に、1シーズンしか着れないから、100円だと凄く助かる・・・
先日始めたダイエット(笑)に関連して・・・
スリムティーなるものを発見!
パッケージの「目標マイナス7キロ」に惹かれて購入(笑)
まあ、効き目が無くても諦めの付く値段だからね(笑)
他にも、香辛料や、カップ麺を買い込む。
「おたふくソース焼きそば」
カップ焼きそばの中で、一番のお気に入りッス。
倭が幼稚園に行って、
「これから一人で優雅なランチ」を想像してたのに、実際は、その「おたふくソース焼きそば」で済ませてる事が多いです。(笑)
そんなこんなで、2000円の買い物・・・
でも、ママチャリの前のカゴには入りきらない。
本当は、大きな食料品雑貨も買いたいのだが、何せ、ママチャリ・・・
もって来れそうもないので、かくして、何度も足を運ばなくてはならなくなる・・・
あ〜やっぱり、車欲しい・・・
★★★今日の夕食★★★
ミニステーキ
こんにゃくのピリ辛炒め
ミネストローネもどき
キムチ
ダイエット
2001年5月14日ネット友達の成功してるとの報告を受けて(笑)
私もその内容を聞き、始めてみる事にした。
いつも効果が無く、三日坊主で終っている。
まあ、本格的なダイエットと言うには程遠い物ばかりだが・・・
決して、肥満ではない(笑)
だが、自分で今の体重と体型が納得いかないのである。
他人から見たら、きっとダイエットの必要は無いんじゃない?って言われるかもしれない程度である。
(多分・・・)
だが・・・
一番身近に居る・・・そう・・・修が異様にチェックが厳しいのである。
彼は肥満は絶対に許せない人である。
自分も相手も、そして、自分の子供も・・・
子供を産んだ後の私を見て、ため息を付いていたし、
「また太った?」とも口にする。
ここで、頑張って、子供を産む前の体重に戻すぞ!
と、一大決心をしたのだが・・・
果たして、どうなる事やら・・・
こうご期待!(笑)
★★★今日の夕食★★★
平春雨のオイスター炒め(Cook Do)
漬け たまご ご飯(タマゴの黄身をダシ醤油に漬け込んだ奴をご飯に乗せて食べたの〜美味でした〜)
ナスと椎茸のお味噌汁
母の日
2001年5月13日母の日でしたが、うちは特別な事はありませんでした。
修も仕事だったし・・・
今日は札幌も凄く良い天気で、暑い位でした。
日中、近所の公園で、倭を遊ばせて、帰って来てらか少し昼寝して・・・
何時もと変わらぬ一日でした。
まあ、母の日と言う事で、旦那の実家に夕食を食べに行く。
途中で、プレゼントにブラウスを買って行く。
私の趣味で選びました。
姑と仲良しなので(笑)好みは判ってるつもりなので・・・
4人の息子から、それぞれプレゼントを貰ってるのを観ると、「しあわせそうだな〜良い息子たちだ」と思いますね(笑)
そして、お母さんが一番嬉しそうだったのは、お父さんから貰ったプレゼントだった。
食事の後片付けをしながら、こそっと、
「お茶と湯飲みのセットを貰ったの〜たち吉の湯飲みなのよ〜お茶も嬉しいけど、たち吉よ!たち吉!」と、言って湯飲みを見せてくれた。
お父さんはそんな事を知らずに買ってきたみたいだが、お母さんは偉くお気に入りの様子だった。
この日、2番目の弟が、結婚を前にアパート借り、家を出て行った。
残すは、一番下の高校生の息子ひとりである。
その一番下の弟にも、最近彼女が出来、4人の男の子を育てて来た両親の、(特にお母さんの)心中はいかばかりであろう・・・
そんな事を考えるようになったのは、やはり私も人の親になった証拠だろうか・・・
★★★今日の夕食★★★
修の実家にて
お刺身
カレイの煮付け
ウドのおひたし
ふきの煮付け
パソコン雑誌
2001年5月12日最近私のお気に入りの本は「パソコン雑誌」である。
「PC Life」とか「YAHOO! JAPAN」とか「あちゃら」とかの類である。
パソコンのトラブル等の時は、良くお世話になってるし、何より付録のCD−ROMが魅力(笑)
色々なゲームやメールソフト等をインストールしては、自分で自分の首を絞めている(笑)
最近のお気に入りをここで紹介しよう
リンク先も載せておくので、興味のある方は是非に・・・(笑)
まず、長続きしているメールソフト(?)
e-Friendsと言う、交換日記。
本物の交換日記みたいに、次の人に廻すと、返って来るまで、見る事も、もちろん書く事も出来ない。
画像も簡単に貼る事が出来るのが優れもの・・・
2人でも良いし、最高4人でノートを廻せる。
リンク
キャラメッセージはその名の通り、キャラクターがメッセージを運んでくる。
キャラメッセージのソフトを持ってる人同士メッセージのやり取りが出来る。
キャラクターの動きも色々指示出来るのが可愛い
リンク
最後に、Shareウェアソフトだが、Tickr2000
ニュースのヘッドラインを電光掲示板に表示し、見出しをクリックすると詳細が読める優れもの。
これは一週間のお試し期間付きで、今私はそのお試し期間中なのだが、お恥ずかしい話、新聞を取ってないので、凄く役に立つ。800円払っちゃおうかな〜と考えている。(笑)
リンク
と、こんな所でしょうか・・・
パソコンの前に座っている時間がどんどん長くなって行くので、もう、インストールはしないでおこうと思いつつも、ついつい、面白そうなのがあると、インストールしてしまう私・・・
ぐうたら主婦ッス(笑)
★★★今日の夕食★★★
一晩寝かせたカレー(笑)
サラダ
がっかり・・・
2001年5月11日今日札幌は冷たい雨でした。
この時期に雨が降ると、札幌はまだ肌寒いです。
ストーブはまだ手放せない・・・
午後から日が照って来たものの、風も冷たい。
そんな中、倭が幼稚園から帰って来る。
バスを降りると、年長さんの女の子が、お使い袋の中から工作した物を取り出して
「これ、お母さんに〜」と見せている。
幼稚園で、今週末の「母の日」に合わせて、工作をしたらしい。
その様子を見ていた倭も、自分のお使い袋の中から取り出して、私に自慢気に見せる。
厚紙を手鏡の形に切った物で、裏には「5月13日 お母さんありがとう 倭」と先生の字で書いてある。ここまでは良かった。
表を見て、私は絶句した。
鏡に見立てた、銀色の折り紙に顔型の肌色の折り紙が貼ってある。
そこに書かれた顔は、紛れもなく、「修」だった。
髪が短く、丁寧に髭まで書いてある。
普段は線とか丸とかを乱暴に書くだけの倭が、きちんと、顔を書いてるのは「成長したな〜」と喜ばしい事なのだか、何故に修の顔・・・?
家に帰る途中歩きながら話す。
「何を書いたの?」
「おちゃの顔〜。おとうさんありがとう〜って・・・」
(注・・・倭は修の事を「おちゃ」と読んでます。修→おさむ→おちゃむ→おちゃ)
「お母さんありがとう、じゃないの?」
「え〜お父さん・・・」
「先生、何にも言ってなかった?」
「うん、何にも言ってないよ〜」
「・・・・」
この日、何時もより遅く、ほろ酔い気分で帰ってきた修に、倭は自慢気にその手鏡を見せる。
凄く嬉しそうに倭を抱きしめる。
私が事情を説明すると余計に喜んでいた・・・(笑)
確か、去年の母の日は、まだ園生活に慣れてなく、絵も書けなかったので、私の顔を書いてもらった記憶はないが、次の月の父の日には、ちゃんとお父さんの顔を書いて来ていた。
修曰く、「倭が書いたあなたの絵は見た事がないな〜」と、グサリと来る一言・・・
「じゃあ、来月の父の日にはかあちゃんの絵を書いてね」
と、言ってみたが、多分、倭は判ってないだろう・・・(笑)
似たような出来事をかなり前に経験している。
「名前を呼ばれる」である。
確か、一番先に倭が名前を呼んだのは「ジジ」だった。
次が「おちゃ」
そして、義弟達の「とも」「あきら」「ジュン」そして「ばあちゃん」
ある時、私はハタと気付く。
一度も倭に呼ばれた事がない・・・
この頃、倭に話す時私は「ハハ」と呼ばせたくて、自分の事を「ハハ」と呼んでいた。
それでも、一度も「ハハ」と呼ばれた事はない。
何故、私の事を呼んでくれないのかと落ち込んだ・・・
「私は子供にとって必要ないんじゃないだろうか」
とまで考えた。
育児ノイローゼだったし・・・
保健婦さんに相談してみる。
「家で、なんて呼ばれてます?」
と、質問されて、またハタと気付く・・・
誰も私の事を呼んでいないのである。
もちろん、修も・・・
昔は「ゆかにゃん」とか言ってくせに、何時の間にか、「ちょっと」とか「ねー」とかになっている。
修にこの事を話すと
「確かにそうだな〜」と、納得はしていたものの、改善する気はないらしい・・・
そんな中、ある時、修の実家に何時もの如く遊びに行っている時、修のお母さんが、倭に向かい
「ほら、かあちゃんって行きなさい〜」とか話している。
そして、気が付くと倭は私の事を
「かあちゃん」と呼ぶようになっていた・・・
『なんで「かあちゃん」・・・星飛馬じゃないんだから・・・』
と、納得は行かなかったものの、「ママ」と呼ばれるよりははるかに良いので、まあ、良しとするか・・・
それにしても、倭は間違っても「マザコン」にはならないだろう・・・(笑)
★★★今日の夕食★★★
今シーズン初の冷しラーメン
ミニカレー
(沢山作って、明日食べます。一晩寝かせたカレーの方が美味しいから・・・そのつもりで作りました。)
この時期に雨が降ると、札幌はまだ肌寒いです。
ストーブはまだ手放せない・・・
午後から日が照って来たものの、風も冷たい。
そんな中、倭が幼稚園から帰って来る。
バスを降りると、年長さんの女の子が、お使い袋の中から工作した物を取り出して
「これ、お母さんに〜」と見せている。
幼稚園で、今週末の「母の日」に合わせて、工作をしたらしい。
その様子を見ていた倭も、自分のお使い袋の中から取り出して、私に自慢気に見せる。
厚紙を手鏡の形に切った物で、裏には「5月13日 お母さんありがとう 倭」と先生の字で書いてある。ここまでは良かった。
表を見て、私は絶句した。
鏡に見立てた、銀色の折り紙に顔型の肌色の折り紙が貼ってある。
そこに書かれた顔は、紛れもなく、「修」だった。
髪が短く、丁寧に髭まで書いてある。
普段は線とか丸とかを乱暴に書くだけの倭が、きちんと、顔を書いてるのは「成長したな〜」と喜ばしい事なのだか、何故に修の顔・・・?
家に帰る途中歩きながら話す。
「何を書いたの?」
「おちゃの顔〜。おとうさんありがとう〜って・・・」
(注・・・倭は修の事を「おちゃ」と読んでます。修→おさむ→おちゃむ→おちゃ)
「お母さんありがとう、じゃないの?」
「え〜お父さん・・・」
「先生、何にも言ってなかった?」
「うん、何にも言ってないよ〜」
「・・・・」
この日、何時もより遅く、ほろ酔い気分で帰ってきた修に、倭は自慢気にその手鏡を見せる。
凄く嬉しそうに倭を抱きしめる。
私が事情を説明すると余計に喜んでいた・・・(笑)
確か、去年の母の日は、まだ園生活に慣れてなく、絵も書けなかったので、私の顔を書いてもらった記憶はないが、次の月の父の日には、ちゃんとお父さんの顔を書いて来ていた。
修曰く、「倭が書いたあなたの絵は見た事がないな〜」と、グサリと来る一言・・・
「じゃあ、来月の父の日にはかあちゃんの絵を書いてね」
と、言ってみたが、多分、倭は判ってないだろう・・・(笑)
似たような出来事をかなり前に経験している。
「名前を呼ばれる」である。
確か、一番先に倭が名前を呼んだのは「ジジ」だった。
次が「おちゃ」
そして、義弟達の「とも」「あきら」「ジュン」そして「ばあちゃん」
ある時、私はハタと気付く。
一度も倭に呼ばれた事がない・・・
この頃、倭に話す時私は「ハハ」と呼ばせたくて、自分の事を「ハハ」と呼んでいた。
それでも、一度も「ハハ」と呼ばれた事はない。
何故、私の事を呼んでくれないのかと落ち込んだ・・・
「私は子供にとって必要ないんじゃないだろうか」
とまで考えた。
育児ノイローゼだったし・・・
保健婦さんに相談してみる。
「家で、なんて呼ばれてます?」
と、質問されて、またハタと気付く・・・
誰も私の事を呼んでいないのである。
もちろん、修も・・・
昔は「ゆかにゃん」とか言ってくせに、何時の間にか、「ちょっと」とか「ねー」とかになっている。
修にこの事を話すと
「確かにそうだな〜」と、納得はしていたものの、改善する気はないらしい・・・
そんな中、ある時、修の実家に何時もの如く遊びに行っている時、修のお母さんが、倭に向かい
「ほら、かあちゃんって行きなさい〜」とか話している。
そして、気が付くと倭は私の事を
「かあちゃん」と呼ぶようになっていた・・・
『なんで「かあちゃん」・・・星飛馬じゃないんだから・・・』
と、納得は行かなかったものの、「ママ」と呼ばれるよりははるかに良いので、まあ、良しとするか・・・
それにしても、倭は間違っても「マザコン」にはならないだろう・・・(笑)
★★★今日の夕食★★★
今シーズン初の冷しラーメン
ミニカレー
(沢山作って、明日食べます。一晩寝かせたカレーの方が美味しいから・・・そのつもりで作りました。)
コメントをみる |

一夜明けて・・・
2001年5月10日誕生日から一夜明けて、今日の夕食は外食・・・
うちは結構外食する方です。
月に最低1・2度は行きます。
この日は私の意見を主張しても良い日と判断し(笑)
「ハーフダイム」に行く。(札幌に一件と、埼玉の川越に一件あります)
ちょっとランクの高いファミレス(?)って感じかな〜?
ローストビーフがメインなんです。
ローストビーフと言っても、オードブルとかで、出てくる薄い奴じゃなくて、塊の奴。
ソースも色々なバリエーションがあって、私は何時もホットスパイシー。あら挽きのコショーとか香辛料がどっさりかかってる奴。
残念ながら、修はここのお肉が好きじゃないみたいで、私が「どうしても行きたい」と言わない限り、連れて来てはくれません・・・
今日は私の一日遅れの誕生日ディナーだから、許されるでしょう。
何時もより、少し高いセットを選びました。(高いと言ってもたかが知れてますが・・・)
ストロベリーマルガリータも付け加えました。
満腹で帰って来て、一度家に戻り、支度して家族風呂に行きました。
子供が出来てから、たまに行くようになりました。
親子3人で入るには、家のお風呂じゃ狭いからね〜
かと言って「健康ランド」みたいな所に行くと男女別なので・・・家族で行ってもつまらないしね。
と、言う事で家族風呂。
昔は何か、イヤラシイ響きに聞こえたけど(笑)
倭も「大きいお風呂行くの?」と、目を輝かせている。風呂好きである。
「ううん、中ぐらいのお風呂」
「あ〜『いち』とか『に』とか『さん』とか・・・」
「????」
私は目が点だった。
修曰く、「部屋の番号だよ」
と言われてやっと気付いた。
そう言えば、前行った時も、部屋の番号札貰ってその部屋を探したっけ・・・
子供の記憶力の良さに脱帽・・・
そして、この時とばかりに背中を流してもらう。
えへへ・・・いい気分〜
でも、修の背中を流してる時に何時も思う。
「若いな〜」って・・・(笑)
やっぱね、肌の張りが違うのよ(笑)
私なんて、子供産んで脂肪も付いちゃったから「ぷよんぷよん」って感じだけど・・・(笑)
『良いな〜』
と、羨ましがってる私でした。
★★★今日の夕食★★★
「ハーフダイム」にて
ローストビーフ
ストロベリーマルガリータ
コメントをみる |

MyBirthDay
2001年5月9日えへへ・・・
36歳の誕生日でありました。
他のサイトとかでは年齢を「3○」と伏字にしてましたが・・・(笑)
ここでは良いの!
まあ、今更気にしてもね〜
ネットを通じて沢山の方からお祝いのメッセージを頂きました。
千葉に住んでる、姉や妹からも(笑)
電話じゃなくて、メールやバースデーカードって所がね・・・なんだかね〜
ネットを始めて2回目の誕生日になりましたが、去年よりは、はるかにメッセージ多かったです。
歳を取るのはもう、嬉しくないけど、メッセージをもらえるのはやっぱり嬉しいです。
特に専業主婦にとってはね!
うちでは、今日は特別な事はしませんでした。
修がバレーボールの練習日だったので・・・
昨日の夜、
「明日はバレーの練習だし・・・」とか嬉しそうに言ってたので
「ふ〜ん・・・行くの?」と一言。
「何で?」
一瞬の沈黙・・・
カレンダーに貼ってあるシールを見て思い出してた奴です。(笑)
布団に入ってから、
「明日どうする?なんか食べに行く?」と聞かれましたが、
「バレーの練習に行って良いよ。食べに行くのは後日でも良いから」
私って、なんて物分りの良い奴なんだろう〜(笑)
まあ、これが10代とか20代とかだったら、プンプン怒ってかもしれないけどね。(笑)
修と付き合う前までは、誕生日を始め、色々な記念日とかって、もう色褪せてたんですね。
30も近くなると「今更ね〜」とかって言う気分になって、それこそ、クリスマスとかバレンタインとかもないがしろにしてました。
それが、修と付き合うようになってから、彼に付き合って、ちゃんとやるようになりました。
私にとっては散々経験した事でも、修にとってはまだ経験した事の少ないものばかり・・・
当然だよね。まだ修は19だったんだから・・・
彼女とのクリスマスやバレンタインや誕生日・・・
てな事で、私の誕生日。
明日、食事に行ってきます(笑)
★★★今日の夕食★★★
揚げイモ
豚の角煮(レトルト)
納豆
キャベツと油揚げのお味噌汁
コメントをみる |

ぐうたら主婦
2001年5月8日私の事です(笑)
特にパソコンを始めてから更に拍車が掛かりました。(笑)
掃除がダメなんですよ。
子供が出来てから特に・・・
言い訳じゃないですが、私几帳面な性格です。
「縦の物が斜め」になってるのが許せないタイプです。
その性格が災いして、掃除をする気力が無くなりました。(笑)
子供が居たら、「縦の物は斜め」所か、「逆さま」になる・・・
気に入らなくて、直しても何秒と持たない・・・
掃除機かけても、直ぐに何処からとも無くゴミが出てくる・・・
「無駄な抵抗は止めよう・・・」
と、言う結論に達し、かくしてぐうたら主婦になってしまった。
子供が幼稚園に行き始めたら、居ない間に玩具とか処分して、片付けようと心に決めていたのに・・・
「明日で良いや・・・」と先延ばしの毎日。
うちは一戸建ての借家なので、ちょっとした庭みたいなスペースがある。
「子供が幼稚園に行ったら、雑草を抜き、あの花を植えよう、この花を植えよう」
と考えていたが、それも未だ手付かずの状態・・・
さすがに今日は少しづつでも手を付けようと、二階の掃除を始めた。
・・・疲れた・・・
その後、GWに撮ったビデオカメラの画像を、パソコンに落とす作業をしていた。
この作業なら、何時間でもやってられるのに・・・(笑)
何時になったら、家の周りに花が咲くことやら・・・(苦笑)
★★★今日の夕食★★★
鮭の塩焼き(脂がのっててこれが美味しいのよ〜)
アスパラベーコン(量が少なかったのでピーマン入れて誤魔化す)
豆腐とワカメのお味噌汁
特にパソコンを始めてから更に拍車が掛かりました。(笑)
掃除がダメなんですよ。
子供が出来てから特に・・・
言い訳じゃないですが、私几帳面な性格です。
「縦の物が斜め」になってるのが許せないタイプです。
その性格が災いして、掃除をする気力が無くなりました。(笑)
子供が居たら、「縦の物は斜め」所か、「逆さま」になる・・・
気に入らなくて、直しても何秒と持たない・・・
掃除機かけても、直ぐに何処からとも無くゴミが出てくる・・・
「無駄な抵抗は止めよう・・・」
と、言う結論に達し、かくしてぐうたら主婦になってしまった。
子供が幼稚園に行き始めたら、居ない間に玩具とか処分して、片付けようと心に決めていたのに・・・
「明日で良いや・・・」と先延ばしの毎日。
うちは一戸建ての借家なので、ちょっとした庭みたいなスペースがある。
「子供が幼稚園に行ったら、雑草を抜き、あの花を植えよう、この花を植えよう」
と考えていたが、それも未だ手付かずの状態・・・
さすがに今日は少しづつでも手を付けようと、二階の掃除を始めた。
・・・疲れた・・・
その後、GWに撮ったビデオカメラの画像を、パソコンに落とす作業をしていた。
この作業なら、何時間でもやってられるのに・・・(笑)
何時になったら、家の周りに花が咲くことやら・・・(苦笑)
★★★今日の夕食★★★
鮭の塩焼き(脂がのっててこれが美味しいのよ〜)
アスパラベーコン(量が少なかったのでピーマン入れて誤魔化す)
豆腐とワカメのお味噌汁
コメントをみる |

遅ればせながら・・・
2001年5月7日えへへ・・・
今まで長々と過去日記を書いてたので、リアルタイムの日記は書けませんでした。
と、言っても書くような事はありませんでした・・・
GWだったのに〜
修も前半は仕事だったり、自分の趣味に没頭してたからね。
何時もと変わらぬ生活でした。
ただ、連日自宅に人を集めて飲み会やら、焼肉やらには参りました・・・
ホント、苦手なんですよ〜
気の合う人達ならまだしも、修の弟の友達とか、その彼女とか・・・
増してや、歳もかなり違うから、私だけ蚊帳の外です。
まあ、入っていくパワーもないしね。
私だって、友達と時間とか家の事とか気にしてないで、朝まで飲みたいよ・・・
愚痴はこの辺にして・・・
5月5日の朝早くから、小樽に出発(高速とか混むからね〜)
実家に付いて、それまでの疲れが出たのか、修は爆睡するし、特別何処にも出掛けず、ダラダラしてました。
この日あたりから、寒気がして風邪みたい・・・
薬飲んで、次の日は札幌に帰る。
途中、円山公園&動物園に寄る。
生憎の曇り空。今にも泣き出しそうな天気の中、倭は乗り物に乗って楽しそう。
丁度、ステージでは「仮面ライダーショー」が始まっていた。
倭は目を輝かせている。
最近、気に入っているようだ。
キャラクターショーなんて見たのは初めてだった。
寒かったのが残念。
アギトと記念撮影をして、動物園を見てるいる間にとうとう雨が降り出してきて、逃げるように帰ってきた。
倭は満足したのだろうか?
私は少しだけれど、桜も観れたし、「まあ、こんなもんでしょう」と満足する事にした。
以上、うちのGW日記でした(笑)
簡〜単〜(笑)
★★★今日の夕食★★★
スーパーのお惣菜
肉団子と野菜のスープ
寄せ豆腐
今まで長々と過去日記を書いてたので、リアルタイムの日記は書けませんでした。
と、言っても書くような事はありませんでした・・・
GWだったのに〜
修も前半は仕事だったり、自分の趣味に没頭してたからね。
何時もと変わらぬ生活でした。
ただ、連日自宅に人を集めて飲み会やら、焼肉やらには参りました・・・
ホント、苦手なんですよ〜
気の合う人達ならまだしも、修の弟の友達とか、その彼女とか・・・
増してや、歳もかなり違うから、私だけ蚊帳の外です。
まあ、入っていくパワーもないしね。
私だって、友達と時間とか家の事とか気にしてないで、朝まで飲みたいよ・・・
愚痴はこの辺にして・・・
5月5日の朝早くから、小樽に出発(高速とか混むからね〜)
実家に付いて、それまでの疲れが出たのか、修は爆睡するし、特別何処にも出掛けず、ダラダラしてました。
この日あたりから、寒気がして風邪みたい・・・
薬飲んで、次の日は札幌に帰る。
途中、円山公園&動物園に寄る。
生憎の曇り空。今にも泣き出しそうな天気の中、倭は乗り物に乗って楽しそう。
丁度、ステージでは「仮面ライダーショー」が始まっていた。
倭は目を輝かせている。
最近、気に入っているようだ。
キャラクターショーなんて見たのは初めてだった。
寒かったのが残念。
アギトと記念撮影をして、動物園を見てるいる間にとうとう雨が降り出してきて、逃げるように帰ってきた。
倭は満足したのだろうか?
私は少しだけれど、桜も観れたし、「まあ、こんなもんでしょう」と満足する事にした。
以上、うちのGW日記でした(笑)
簡〜単〜(笑)
★★★今日の夕食★★★
スーパーのお惣菜
肉団子と野菜のスープ
寄せ豆腐
過去日記 PART?
2001年5月6日次の日、腫れぼったい目をして受験会場に行くと、ユッコが待っていた。
「・・・実はね、龍司から電話が来てたの・・・」
私は驚いてユッコの顔を見つめた。
「船に乗る前の日、お父さんの手伝いで船に乗る事になったから・・・って。危なくないの?って聞いたら『大丈夫、大丈夫』って笑ってた。ゆかりに電話したの?って聞いたらしてないって言うから、心配してるから、電話してあげてって言ったら、『うん、これ切ったら電話するよ』って言ってたのよ・・・」
ユッコが昨日聞いていた「龍司から電話来なかった?」はこの事だったのだ。
私はただただ、首を横に振った。
涙があふれてしょうがなかった。
『何故!?電話くれなかったの?』
『どうして!?』
そんな言葉しか、頭に浮かんでこない・・・
どうやって、受験2日目をこなしたのかわからないまま、家に戻った。
それからと言うもの、毎日、目を皿の様にして新聞を見たが、その後の龍司に関する記事は載っていない。
中学生の私には調べる術もないまま、一週間が過ぎた。
行方不明者の捜索は、通常一週間で打ち切られるのだ。
それを待って、彼の自宅で、遺体のないまま葬儀が行われた。
私と、ユッコそしてクラスメートの3人で出掛けた。
遺影の龍司は見た事のない顔をしていた。写真映りのせいだろうか・・・?まるで別人である。
『私は一体、誰のお葬式に来ているのだろうか?』
当然、涙も出なかった。
信じられなかったのである。
『だって、遺体がないんだもの。きっと何処かで生きてる』そう言い聞かせている自分がいた。
そして、色々な情報が飛び交っていた。
「自殺だったんじゃないか」と言う話まで出た。
漁に出る前に自分の机はもちろん、洋服などもきちんと整理され、かなりの物も処分されていたと言う。
そんな所から、「自殺説」が出てきたのだろう。
その話を聞いた時、私は明らかに動揺した。
ユッコにも泣いて、自分の胸の内をぶちまけた。
そんな私の為にかどうかは判らないが、ユッコは色々と情報を仕入れて来てくれた。
「自殺なんかじゃないよ。だって、龍司、海に落ちた時、ジャンバーとか脱いだって・・・水で重くなって身動き取れなくなるから、着てる物脱いだって。」
どの話も、信憑性は定かではないが、私はこの話は信じたかった。
その後、私は中学を卒業し、無事に高校も合格した。
今思えば、ランクを下げておいて正解だったと、つくづく思った。
毎日、毎日、龍司からの電話を待っていた。心の片隅では、もう居ないんだと思いつつも、何処かで彼を待っている自分がいる。
そんな危うい精神状態が長く続くわけが無い。
自分の中で、区切りを付けた。
「一年待っても帰って来なかったら・・・その時は私も・・・」
男友達のバイクの後ろに乗って流したり、高校も進級が危うくなる程休んだり、そんな事をして一年があっという間に過ぎた。
親宛てに、遺書を書いた・・・
・・・そこまでだった・・・
勇気がなかったと言えばそれまでだが、どうしても龍司の側には行けなかった。
言い訳かもしれないが、『きっと何処かで生きている。』
その考えが頭から離れないのである。
その考えが頭から離れないまま、もう既に、20年の月日が流れてしまっている・・・
それでも、私は生きている。
これからもずっと、心の片隅で、彼の帰りを待ち続けている私がいる。
遺書を書いた時、私の人生は一度終っている。
良い意味でも、悪い意味でも、「龍司」は私の人生の中で、大きな意味を持っている男性である。
願わくば・・・神様が本当にいるとしたら・・・
『龍司にもう一度だけ逢わせて下さい』
〜おわり〜
★★★今日の夕食★★★
修の実家にて
五目御飯
焼き鳥
コメントをみる |

過去日記 PART?
2001年5月5日3月5日
忘れもしない「公立高校入試一日目」
受験会場である工業高校の教室の前で、ユッコは私を見つけ駆け寄ってきた。
「教室別になっちゃったね」
彼女は心細そうであった。
「ねえ、龍司から電話来なかった?」
何気なくユッコはそう聞いて来た。
私は首を横に振った。
それ以上、彼女は何も言わなかったし、私も特に疑問も持たなかった。
私達が音信不通になってる事を、ユッコは知っていたし、高校入試を前に、龍司が電話をして来たのかと、彼女は聞きたかったのだろう。
それ位にしか思わなかった。その時は・・・
一日目の受験はまずまずで終え、自宅に戻る。
夕食までの時間、居間でゴロゴロしていると、電話が鳴る。
クラスメートだった。
龍司を紹介してくれた、H高校野球部の子と付き合っていたあのクラスメートある。
彼女とは小学校が一緒だったので、初めは仲良くつるんでいたが、段々と別グループになり、学校以外での付き合いは無くなっていた。
その彼女が、突然自宅に電話してきたのである。
小首を傾げながら、私は
「どうしたの〜?」と切り出した。
「え?ううん、受験どうだったかな〜と思って・・・」
「うん、今日はまあまあだったよ」
「所でさ・・・」
彼女は切り出した。
「ゆかりの家、夕刊採ってる?もう来てる?」
「え?来てるけど?」
彼女の何時も通りの明るい声に、私は何の疑問も持たず、答えた。
「そう、ならいいんだ。うちまだ来てないもんだから・・・じゃあ、明日も頑張ろうね!」
そう言って、彼女は電話を切った。
私は『珍しいな〜』と思いつつも、そんな電話の事は忘れ、夕食を取った。
居間で先に夕食を食べ終わった父が、夕刊に目を通していた。
「えびかご船の16歳が海中転落だと・・・」漁師である父が、ポツリと記事を読み上げた。
『16歳?』胸がざわめいた。
「小樽の高島の子じゃないか。この時期だと助からんな」
私は父から新聞を取り上げ、記事に目を走らせた。
クラスメートの言葉が頭を過ぎる。
『夕刊来てる?』
・・・間違いない・・・龍司だ・・・どうして?どうして彼が船なんかに?
私はその記事が載ったページを持ち、電話を二階に切り替え、自分の部屋へ駆け込んだ。
頭の中が真っ白だった。
どうやって、ダイヤルを廻したかさえも覚えていない。
ただ、ただ、体中が、ガタガタと震えているだけである。
「・・・まだ知らないみたいだったから・・・言えなかったの。私の口からは言えなかった・・・」
先程のクラスメートの言葉である。
彼女も新聞を見て、驚いて私に電話を掛けてきたが、とうの私はまだ事件の事を知らず、暢気に話してたから、彼女は言い出せずに電話を切ったのである。
その後、親友の所にも電話をしたと思う。
親友は、確か、慰めてくれたと思う。
「きっと、すぐ見つかるよ」と言われた気がする。
しかし、その言葉は慰めにはならなかった。
漁師である父が、冬の海の怖さを知っている父が漏らした一言
「この時期だと助からんな・・・」
この言葉が胸に大きくのしかかる・・・
私は電話の側で膝を抱えてうずくまった。
とにかく、震えが止まらないのである。体が冷たくなって、冷汗が出て来る。
人間は本当に悲しい時には、泣けないんだと初めて知った。
あんなに泣き虫だった私が、涙を流す事も、泣き叫ぶ事も出来ないのである。
今思えば、ショック状態で、血圧も下がっていたのだろう・・・
当然、明日の受験2日目所の騒ぎではない。
〜つづく〜
★★★今日の夕食★★★
小樽の実家にて
お刺身
豆腐とワカメのお味噌汁
コメントをみる |

過去日記 PART?
2001年5月4日ユッコは、「これが本当に中学生なのか?」と思うほど大人びていた。
まあ、悪く言えば、つっぱり姉ちゃんと言う感じだが・・・
そんな観かけとは裏腹に、明るく屈託無く私に話し掛けてきた。
私のセーラー服を触っては、
「やっぱり良いよね〜ブレザーよりセーラー服の方が・・・」と話出したり・・・
私は元々人見知りする方だか、この時も、ガチガチに固まっていた。
「え〜」とか
「うん・・・」とかしか話してなかったと思う。
ユッコは自分も工業高校を受けると言い、受験会場でも会えるねと屈託無く笑った。
後で、この時の事をユッコと話すと、彼女は決まって笑いながらこう言う。
「本当にお人形さんのように大人しかったよね〜」と・・・
冬も本格的になり、私も一応受験勉強の体制に入った。
いくらレベルを下げたとは言え、倍率の高い学科だったので、油断は禁物であった。
逢う時間もめっきり少なくなり、たまに逢っても、前の様に無邪気に笑いあう事はなかった。
私は彼の前でどんどん無口になって行く・・・
その頃の私の胸の中は、不安しか無かったと思う。
『龍司は本当に私の事が好きなのか』
『前の彼女の事はもうなんとも思ってないのだろうか』
『私は彼の側に居ても良いのだろうか』
私は龍司の言葉が欲しかった。
私を安心させてくれるような言葉をずっと期待していた。
「龍司がね・・・『あいつは何にも話してくれないんだ・・・』って言ってたよ」
ある時、ユッコからそんな事を聞いた。
ユッコとは何でも話すのに、私にはどうして何も言ってくれないのだろう・・・
気持ちはどんどん沈んで行く・・・
何かが違う
何かが狂い始めていた。
【後から判った事だが、丁度この頃、両親も正式に離婚し、
龍司は野球部も退部し、学校も行かなくなっていた・・・
この時の事を今でも後悔している。
どうして、もっと自分を曝け出せなかったのか
どうして、彼の変化を察知出来なかったのだろう
どうして、彼の胸の内を聞いてあげれなかったんだろう・・・】
年が明けた頃・・・
電話で、とうとう龍司が切れた。
「お前が何を考えてるか判らないよ。お前なんにも話してくれないしさ」
「・・・私も判らないよ・・・龍司の考えてる事・・・」
精一杯の私の反論だった。
「やっぱりダメなのかもな」そう言って、龍司は電話を切った。
【今思うと、これが私の聴いた彼の最後の声だった。】
バレンタインにチョコレートもあげれなかった。
私も意固地になっていたのかもしれない。
どうしても、前の彼女の影がちらついてしょうがなかった。
『龍司を救えるのは私ではなくて、前の彼女だろう・・・』そんな事も考えた。
私の心が弱かったのだ。
彼が学校も辞めたとも聞いたが、私にはどうする事も出来なかった。
野球部を辞めた時点で、こうなる事は予想出来た。
それだけ、彼の中で野球は特別なものだったから。
2月末の私立高校の入試が終り・・・
そして、運命の日を迎える。
それは一生忘れる事の無い日。
3月5日・・・公立高校入試の日。
長い一日の始まりであった・・・
〜つづく〜
★★★今日の夕食★★★
うちの駐車場で、焼肉・・・
本当は川の側の桜の木の下でお花見するんだったんだけど、風が強くて、変更になりました。
食べた気しない・・・(笑)
コメントをみる |

過去日記 PART?
2001年5月3日丁度、龍司と連絡が取れなくなった頃、私の方にも考えなければならない事が起きていた。
「進路問題」である。
そう、中学3年生・・・一応受験生であった。
担任から、市外の高校の推薦を勧められた。
日大の付属高校で、スポーツの盛んな高校だった。
小樽の片田舎の中学校では何の自慢にもならないが、一応、陸上部のエースだった。
学校の短距離の歴代記録を片っ端から塗り替えていたし、成績もそこそこだったので、担任と陸上部の顧問が勧めてくれたのだ。
難点と言えば、寮生活になってしまう事・・・
それでも、私の中では行きたい気持ちの方が強かった。
頭の片隅に龍司の顔が浮かんだ。
「考えてみます。親とも相談しなくてはならないし・・・」
曖昧な返事をして、その高校の入学案内書を受け取った。
学校の帰りに、電話ボックスから龍司に電話を入れた。
やっと繋がった。
喜んだのもつかの間、聞いた事の無い龍司の沈んだ声が、耳に飛び込んできた。
「どうしてもお前の事は妹のようにしか思えないから、もう付き合えない・・・色々と考えたい事もあるし一人になりたい・・・」
私は妹でも良いから・・・と食下がったが、彼は
「それじゃあ、お前に悪いから・・・」そう言って、電話を一方的に切った。
不思議と涙は出なかった。
自分はどうしても、前の彼女には勝てなかったんだと思った。
そして、龍司の冷え切った声を聞いた時に、私の心の中で決心が付いた。
『日大の付属の高校に行こう・・・』
当然、両親は反対だった。私立でお金が掛かるし、何より寮生活をする事になるのだから、反対されても当然である。
でも、私は時間を掛けて、説得する自信はあった。
担任にも、行く事に決めたと告げ、「今、親を説得中です」と報告した。
願書を取り寄せる所まで話は進んでいた。
高校入試に頭を切り替えようと必死だった。
だが、幸か不幸か、龍司の噂が耳に入ってくる。
「野球部、辞めたらしいよ」
「学校も行ったり行かなかったりみたいよ」
電話で言っていた『色々と考えたい事』ってこの事だったのだろうか・・・
季節も冬が近付き、願書提出も間近に迫ったある日の夜、一本の電話が掛かって来た。
たまたま、自分の部屋で私が最初に出た。
耳に飛び込んできた、聞き慣れた声に、心臓が止まりそうになる。
「俺、判る?」
忘れるはずが無い、あんなにも好きだった人の声・・・一方的に別れを告げられても、それでも好きだった人の声である。
「どうして・・・」
戸惑っている私に、彼は以前の優しい声で
「やっぱり、俺の事を判ってくれるのはお前しかいないから・・・」と言った。
今考えれば、「なんて勝手な」って思うけど、そこは惚れた弱みで・・・(笑)
また付き合おうと言う話になり、その日はそのまま長電話をしたのである。
野球部は休部している事、一時は学校もサボってたけど、今はボチボチ行ってる事、両親が別居した事を龍司は話してくれた。
私は志望校の話をした。
【ここで、私の人生は大きな岐路に立った。
今思えば、どうしてもっと冷静に考えられなかったのか?
どうして、自分の夢を捨ててしまったのか・・・
どうして・・・】
日大の付属高校に行こうと思ってる事、そこに行くと寮生活になる事を告げると、龍司は
「そんな所に行ったら逢えなくなるじゃないか」と声を荒げた。
私にはそれが嬉しかった。
「私だって、またこうして龍司と付き合えるようになったのに・・・迷ってしまうよ・・・」
「だったら行くなよ、俺の側に居ろよ」
彼のその一言で、私はあっさりと志望校を変更したのである。
恋をすると人は盲目になる。
まさにその通りである。
担任には「どうしても親が反対しているので諦めます」と告げた。
そうして、自分の実力からしたら、かなりレベルを下げた市内の工業高校に願書を提出したのである。
【あの時、日大の付属の高校に行って、陸上を続けていたら、
私の人生はどうなっていただろう?と何時も思う。
あの時、龍司ではなく、自分の夢を選んでいたら、
これから先に起こる事件は起こらなかったのだろうか?
それとも、どちらを選んだにしても、
あれは避けられない運命だったのだろうか?】
久しぶりに会った龍司は、何処か擦れたような感じがした。
タバコを吸い、お酒を飲み・・・
まあ、高校生なら、誰でもやっている事だか、今まで野球一筋だった彼からは想像が付かなかった。
再び付き合える様になってからと言うもの、私は彼の前で、一段と無口になっていた。
彼が何を考えているのか、私の事をどう思っているのか、気が気ではなかった。
雪も降り始めたある日、龍司の別居中の母親の家へ案内された。
彼の家には何度か行った事があるが、お母さんの別居先は初めてだった。
雑居ビルの一階が飲み屋で、二階が住居だった。
彼のお母さんはその一階で飲み屋をやっていた。
最近は、どうやらここで寝泊りしているらしかった。
「今日友達も来るから・・・」
学校帰りで制服のままの私に、龍司はそう言った。
「中学の時からの悪友達(笑)そいつも中3の彼女がいてさ、ユッコって言うんだけど、そのユッコが学校で友達居なくてさ〜ユッコの友達になってやってくれよ」
と、龍司は言った。
【・・・そう・・・以前この日記に登場した「ユッコ」である。】
彼女との出会いであった。
〜つづく〜
★★★今日の夕食★★★
有名な「山頭火」行って来ました。
「トロ肉塩ラーメン」
トロ肉・・・美味しかったけど、ちょっと胸焼け(笑)
コメントをみる |

過去日記 PART?
2001年5月2日かくして、私達は付き合う事になったが、いかんせん、学校も違うし、お互いに部活もやってたし、たまにしかデートは出来なかった。
お陰で、電話では良く話した。
ある時は、夜の10時から朝の5時まで喋っていた事もある。
途中、掛け直したり、トイレタイムを取ったりして・・・
今思えば、何をそんなに話していたのだろう・・・
電話口で私は良く泣いていた。
そんな私の事を龍司は
「言いたい事の言えない泣き虫」と言っていた。
(今でも「言いたい事が言えない」私です。泣き虫では無くなったけど・・・)
付き合い始めてまだ間もない頃のデートの時に、龍司は私を埠頭へと連れて行った。
そこで、前に付き合っていた彼女の話をし出した。
「何時ものデートコースを歩いていて、途中の交差点で、子供が車にはねられる事故を目撃した。慌てて子供に掛けより、見真似で脈を採ってみたが、『滅茶苦茶で判らない』ダメかもしれないと思った。子供が救急車で運ばれるのを見届けてから、俺達は歩き出したけど、彼女の方がショックでずっと泣き止まなかった。そして、この埠頭に着いた時、彼女を抱きしめて初めてキスをしたんだ・・・」
龍司は遠い目をして話した。
『何故、私にそんな話を聞かせるのか?どうして私をここに連れてきたのか?』
答えは簡単である。
龍司はまだ彼女の事を好きだから・・・
彼女は転校してしまい、文通を続けていたが、そのまま自然消滅になってしまったのだと言う。
何時もの長電話の中でも龍司は私の事を「まだ妹の様にしか思えない」と言っていた。
私はそれでも構わなかった。彼の側に居れるのなら・・・
ある時「お前にとって俺はどんな存在?」と電話で聞かれた事がある。
「一番大切な人よ。ずっと側に居て欲しい人」私は迷いもなく答えた。
「聞いたこっちが恥ずかしくなるよ。でも、うれしいよ、ありがとう」
龍司はしきりに照れながら答えた。
しかし、私のこの気持ちは既に片想いだったのだろう・・・
数少ないデートの中で一番記憶に残って居るのは、「潮祭り」である。
今でも小樽の夏祭りとして、埠頭や水上花火大会が有名だが、その当時はもっと山の方の小樽公園で行われていた。
市営球場の近くで、私の家からも比較的近い。
球場で待ち合わせて、花火大会を見る事にした。
人混みの中、龍司は私の手をひいてくれた。
お恥ずかしい話だが、男の人と手を繋いだのは初めてだった。
彼の手は凄く大きくてごつかった。
『キャッチャーの手だな〜』そんな事を考えて胸のドキドキを抑えていた。
「ちっちゃい手だな〜ちゃんと握れよ」
「だって、届かないんだもん」
ラブラブなカップル(笑)だった。
クラスメートに目撃されていて、次の日学校で冷やかされたり・・・
この時が一番幸せだったかもしれない・・・
そう・・・
夏の大会も終り、新チームが結成された後、龍司とデートをした時、彼は湿布の匂いをさせて私の前に現れた。
「これから病院に行くから付き合って」と言う事で、その日のデートは始まった。
今思えば、この当たりから、龍司の表情が暗くなってきたような気がする。
「妹としか思われていない」と言う自分の切ない気持ちで精一杯で、彼の変化に気が付いていなかったと思う。
診察を終えて龍司は話し出した。
「またレギュラーになれなかったよ。この腰のせいで・・・」
椎間板ヘルニアだそうだ。
それでも、部員数の多いあの高校の野球部で、一年生ながらベンチ入りのメンバーに入り、新チームではレギュラー間違い無しのはずだったのだ。
野球一筋の彼にとってはショックな出来事だったのだろう。
ポジション的にも、腰への負担はかなりのものだ。
これから先の不安もあったに違いない。
でも、その時の私はありきたりな慰めの言葉しか言えなかったと思う。
その日のデートで龍司は寂しそうに私にこう聞いた。
「お前は、野球をやってる俺を好きになったんだろう?」と・・・
私が野球好きなのを龍司は良く知っていた。
私は
「確かに、始めは野球をやってる龍司に惹かれたよ。でも今は違うよ」
私の必死の言葉に彼はただ寂しく笑うだけだった。
それと同時に、もう一つ。
彼の両親が離婚をするかもしれないと言う問題も起こっていた。
自分の事と、両親の事。
彼の心の中はどんなに乱れていただろう・・・
でも、その時の私には、15歳の中学生の私には、何も出来なかった。
徐々に彼からの電話は来なくなり、私から掛けても居留守を使われる事が多くなって行った・・・
〜つづく〜
★★★今日の夕食★★★
ずわい蟹のシューマイ
野菜と炒める牛カルビ
アサリのお味噌汁
コメントをみる |

過去日記 PART?
2001年5月1日常々、過去日記を書きたいと思っていた・・・
なかなか、タイミングが無かったり、時間がなかったりで実現はしなかったが・・・
今回このDiaryNoteは、三日坊主な私にしては続いてる方だ。
いい機会なので、ここいらで書いてみようかな・・・
一口に過去日記って言っても、もう30年以上も生きて来てるから、書きたい事が沢山あり過ぎて(笑)何処から手を付けて良いかずっと悩んでた。
でも、一番書きたい事がある。
ううん、書いて置かなくてはならない事がある。
ずっと胸の中に仕舞い込んでいて、月日と共に風化しそうな思い出・・・
活字にして置く事で、少しでも彼が生きていたと言う証になればと思う。
時は20年前に遡る。(気が遠くなりそうだな・・・)
中学3年・・・その頃私は野球が大好きだった。(プロ・アマ問わず)
学校の近くに市営球場があり、放課後毎日通っていた。
そこでは小樽のH高校がホームグランドとして使っていた。
(ちなみにそのH高校は今では甲子園に行く程になっている)
時にはクラスメイトと「きゃあきゃあ」言いながら練習を見ていた。
私はどちらかと言うと、ピッチャーに目が行く方だが、珍しくキャッチャーに目が行った。
どうしてもキャッチャーと言うと、太ってて「ドカベン」みたいな人を想像しがちだが、その人は違った。
眼鏡をかけていたが、色黒で精悍な感じの人だった。
夏を前にして、球場に足を運んでいたクラスメイトの一人が、そのH高校の野球部の一年生と付き合う事になった。
その子と共にスタンドで何時もの通り練習を見ていて、その彼を教えてもらった。
その彼と親しげに例のキャッチャーが話している。
どうやら、同じ一年生らしい。
しばらくして、そのクラスメイトが
「日曜日に付き合って欲しい」と言って来た。
どうやら別れ話が出てるらしい。
「龍司も来るから・・・」
例のキャッチャーであった。
7月も後半の日曜日、喫茶店で初めて龍司と対面した。
想像していたよりも、明るく気軽に話し掛けてくれた。
私はドキドキして顔もまともに見れてなかったと思う。
それでも、「野球が好きでずっと球場に通っていた事」「龍司が気になっていた事」は伝えた。
何を話したか、今ではもう細かい所までは覚えていないが
「随分と真面目な子が来たな〜」と笑われたのは覚えている。
「彼女の友達だから、もっと不良ぽくて、砕けた奴が一緒に来るのかと思った。」と龍司は言った。
互いの住所と電話番号を交換し、その日は別れた。
その夜、電話が掛かって来た。
受話器から聴こえる龍司の声は、低くて男らしくて、そして優しかった。
私から、「付き合って欲しい」と告げた。
どんな言葉で告げたのだろう・・・
龍司は即答せず、次の日曜日デパートの中の水時計の前で待ち合わせをし、電話を切った。
デートの当日、そのデパートではたまたま、夏の高校野球の地区大会の写真が展示されていた。
龍司が真剣に見入っている姿を見付けて、私は声を掛けずに側に近づいた。
少しして、気付いた彼は
「全然気が付かなかった〜」と屈託なく笑った。
『あ〜完璧だ・・・』
私は完璧に龍司に恋をしていた。
初めて会った喫茶店に行き、龍司は話し出した。
「電話でお前から付き合ってくれって言われたけど・・・あれは無かった事にして、俺から言わせてもらうよ。やっぱ、こう言う事は男から言うべきだから」
と前置きして「付き合ってくれ」と龍司は言った。
私はこの頃から、龍司の顔をまじまじと見れなくなっていた。
この言葉を言った時の彼はどんな顔をしていたのだろう・・・
『凄く好き』過ぎて、ドキドキして顔を上げられなくなっていた。
今の私からは想像も出来ないけど(笑)
初心だったんだな〜
でも、こんなに人を好きになったのは、後にも先にも龍司が初めてだった。
20年経った今でも、悲しいかな、それは変わっていない・・・
〜つづく〜
★★★今日の夕食★★★
マグロ刺身
ホタテフライ
白菜と椎茸のお味噌汁
コメントをみる |

今日は手短に・・・(笑)
2001年4月30日修も仕事だったので、うちはGW中とは言え、何時もと変わらぬ一日・・・
倭の風邪の具合がどうにも良くない。
熱こそはないものの、物を食べると、お腹痛がるし、機嫌も悪い。
私も一日、そんな倭と一緒だったので、機嫌が悪くなってきたので、修に電話し、
「今日の夕食は実家に行っても良い?」とお伺いを立てる。
実家と言っても修の実家です。
結構、仲良くしてます。
以前までは毎週行ってました。
私も週に一日でも、夕食の支度しなくて済むので助かってたし、何より、倭と2人きりを脱出出来るから・・・
まあ、修の両親とはひと回りしか歳が違わないのが良いのかも(笑)
★★★今日の夕食★★★
修の実家にて
お好み焼き(笑)
倭の風邪の具合がどうにも良くない。
熱こそはないものの、物を食べると、お腹痛がるし、機嫌も悪い。
私も一日、そんな倭と一緒だったので、機嫌が悪くなってきたので、修に電話し、
「今日の夕食は実家に行っても良い?」とお伺いを立てる。
実家と言っても修の実家です。
結構、仲良くしてます。
以前までは毎週行ってました。
私も週に一日でも、夕食の支度しなくて済むので助かってたし、何より、倭と2人きりを脱出出来るから・・・
まあ、修の両親とはひと回りしか歳が違わないのが良いのかも(笑)
★★★今日の夕食★★★
修の実家にて
お好み焼き(笑)
焼肉パーティー
2001年4月29日今日は午前中、修は野球に行ったらしい。
最近、仕事仲間や友達を集めてチームを作り、朝野球をやってるみたいだ。
まあ、私と倭は昼近くまで寝てたから別に良いんだけど、昼過ぎに帰って来てから、
「これから打ち上げで焼肉パーティーするから」
そんな突然・・・家の中も掃除してないのに〜
まあ、何時も彼は突然だ。
お陰でこっちは何時も振り回される。
典型的自己中のB型である。
近くのディスカウントストアで肉などを買い込み、支度する。
それでも今日はまだ良い方だ。
6〜7人なら、なんとかなる。
以前も「牡蠣鍋パーティー」だ「お好み焼きパーティー」だと、総勢15人位集まった事もある。
一戸建ての借家とは言え、居間はそんなに広くないから、ギュウギュウなのよ。
まあ、修は自分の家に人を集めるのが好きみたいね。
私はちょっと苦手・・・
でも、焼肉美味しかったから良しとするか(笑)
まあ、そんなこんなで、食べた後も、ひたすら飲みながら、くっちゃべっていたから、私はパソコン出来ませんでした。
悔しいから、ビールとスパークリングワイン飲んで皆帰ってから、後片付けして、さっさと寝ちゃいました。
★★★今日の夕食★★★
焼肉
最近、仕事仲間や友達を集めてチームを作り、朝野球をやってるみたいだ。
まあ、私と倭は昼近くまで寝てたから別に良いんだけど、昼過ぎに帰って来てから、
「これから打ち上げで焼肉パーティーするから」
そんな突然・・・家の中も掃除してないのに〜
まあ、何時も彼は突然だ。
お陰でこっちは何時も振り回される。
典型的自己中のB型である。
近くのディスカウントストアで肉などを買い込み、支度する。
それでも今日はまだ良い方だ。
6〜7人なら、なんとかなる。
以前も「牡蠣鍋パーティー」だ「お好み焼きパーティー」だと、総勢15人位集まった事もある。
一戸建ての借家とは言え、居間はそんなに広くないから、ギュウギュウなのよ。
まあ、修は自分の家に人を集めるのが好きみたいね。
私はちょっと苦手・・・
でも、焼肉美味しかったから良しとするか(笑)
まあ、そんなこんなで、食べた後も、ひたすら飲みながら、くっちゃべっていたから、私はパソコン出来ませんでした。
悔しいから、ビールとスパークリングワイン飲んで皆帰ってから、後片付けして、さっさと寝ちゃいました。
★★★今日の夕食★★★
焼肉
コメントをみる |

少し浮上してきた・・・
2001年4月28日実は昨日、日記を丁度書き終わった時に、修が帰ってきた。
早い時間の帰宅に、慌てて日記をUPし、パソコンの電源を切る。
「飯は〜?」
当然、何の支度もしていない。
「じゃ、食べに行くか〜」
かなり、疲れて居たので、ホッとする。
まだ寝ていた倭を叩き起こし、食事に行く。
パスタやピザのファミリーレストラン
私は「紀州梅のパスタ」と「マグロのカルパッチョ」
グラスの赤ワインも頂く。
その後、カラオケにも連れて行ってもらった。
「う〜ん・・・ストレス解消」
という事で、本日の夕食は昨日のメニューの持ち越しとなりました。
早い時間の帰宅に、慌てて日記をUPし、パソコンの電源を切る。
「飯は〜?」
当然、何の支度もしていない。
「じゃ、食べに行くか〜」
かなり、疲れて居たので、ホッとする。
まだ寝ていた倭を叩き起こし、食事に行く。
パスタやピザのファミリーレストラン
私は「紀州梅のパスタ」と「マグロのカルパッチョ」
グラスの赤ワインも頂く。
その後、カラオケにも連れて行ってもらった。
「う〜ん・・・ストレス解消」
という事で、本日の夕食は昨日のメニューの持ち越しとなりました。
コメントをみる |
